ベルカント音楽学院

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ワーグナー

今回は、ドイツロマン派の作曲家ワーグナーです。
「タンホイザー」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で有名ですが、そのキャラは過剰なほどの自信家で、「自分は音楽史上まれに見る天才で、自分より優れた作曲家はベートーヴェンだけだ」と公言してたが、リストやウェーバーなど、彼が敬意を払っていた作曲家は少なくなかった。
かなりの浪費癖の持ち主で、若い頃から贅沢をして支援者から多額の借金をしながら踏み倒したり、専用列車を仕立てたり、当時の高所得者の年収5年分に当たる額を1ヶ月で使い果たしたこともあったと。
パリへの移住も、借金を踏み倒した夜逃げ同然の逃亡だったようだ💦
彼の容姿は頭が大きい割には背は165センチと低く決して美男子とは言えないが、女も男もその才能と何か圧倒する魅力に吸い寄せられた。
女癖も悪く世話になったパトロンの妻と不倫する。(その頃はワーグナーも女優と結婚していた)
“恩を仇で返す”とはこのことか。
しかしその夫人との結ばれることのない悲恋があの官能的な名曲「トリスタンとイゾルデ」を生み出している。
のちにリストの娘、コジマと深い仲になる。その時はすでに二人とも結婚していたが、コジマも旦那とは以前から上手く行ってなく、ワーグナーの妻の死後に旦那と離婚しワーグナーと結婚する。
なんと年齢差24歳!
ブラームスとそりが合わず、犬猿の仲だった話しは有名。
1870年にウィーンで催されたベートーヴェンの生誕100年セレモニーに講演者として招待を受けて快諾したが、土壇場で出席者リストにブラームスの名を見つけて出席を拒否したほど😧
1883年2月13日、ヴェネツィアにて旅行中、客死。ワーグナーの死はヨーロッパ中に衝撃を与えた。ルートヴィヒ2世はワーグナーの死を知って「恐ろしいことだ」と打ち震えた。訃報を接した際に合唱の練習をしていたブラームスは、ワーグナーに弔意を表して練習を打ち切ったという。
作品でも私生活でも女性による救済を求め続けたワーグナーらしく、
最後に書いていた論文は『人間における女性的なるものについて』であり、その執筆中に以前から患っていた心臓発作が起きての死だった。
遺体はバイロイトの自宅であるヴァーンフリート荘の裏庭に埋葬されコジマとねむっている。
かなり我儘な人だけどやっぱり圧倒的にすごい!