ベルカント音楽学院

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サン=サーンス

今回はカミーユ サン=サーンス(1835-1921)
幼い頃から音楽の素養があり、3歳くらいから作曲したといわれている。
5歳くらいから人前で演奏するが、デビューするのは10歳頃。
彼はモーツァルトと同じくらい驚くべき神童であったのはあまり知られていない。
パリの最高峰といわれた職のマドレーヌ寺院のオルガニストにつく。
そこで、彼のオルガンを聴いたリストは彼こそが世界最高のオルガニストだと言い切ります。
彼は、教職でも成功し、フランス音楽界の大御所的存在となります。
弟子にフォーレがいて、生涯に渡り親しい関係でした。
また、詩や絵も書き、天文学者で哲学者でもあったというとても多才な人。
1876年には、一切の要職をやめて自由に旅行して過ごし、86歳でアルジュにて客死してしまう。
結婚はというと、1875年、彼が40歳、花嫁は19歳で多くの人を驚かせた。
彼女はマリー=ロール・トリュフォといい、彼のある弟子のきょうだいでした。
2人の子供を授かったが、悲劇が起こってしまう。
当時2歳の上の子はアパートの窓から転落、命を落とす。
下の子はその6週間後に肺炎で落命、生まれて6か月だった。
もともと一緒に暮らしていた彼の母とマリーの折り合いも悪かったのと、彼自身の性格的な問題、そして、2度もの不幸が打撃となり、結婚生活は破綻へと向かってしまう。
1890年に『Mea culpa』と題した短詩を発表したサン=サーンスは、その中で堕落を知らぬ己を責め、若さによる過剰な熱意へ賛意を述べつつも、それを自分が持たなかったことを嘆いている。
作曲では、彼は革新と伝統的形式の間のバランスを求めていた。
彼が特色ある音楽スタイルを発展させたとは言えない。
むしろ、彼はワグネリアンの影響に飲み込まれる危機に瀕していたフランスの伝統を守り、後進を育成する環境を整えた。
作品には数々の名曲が残されている。
1863年にサラサーテのために作曲された『序奏とロンド・カプリチオーソ』 イ短調 作品28はあまりにも有名。
1880年に完成したバイオリン協奏曲第3番もサラサーテに献呈している。
12のオペラを作曲しているが、彼の死後は『サムソンとデリラ』のみが定期的に上演されている。
彼の最も有名な作品『動物の謝肉祭』は、1887年に室内楽として11人の奏者のためにつくられている。
友人が主催するマルディ・グラ(謝肉祭の最終日)に親しい友人と楽しみで演奏するために書いたそうだ。
斬新で奇抜なラプソディー(狂詩曲)で、動物たちのパレードをユーモラスと皮肉を利かせて描いている。
中でも”序奏と堂々たるライオンの行進” “白鳥”は有名。
“亀”も出てくるが、あの”天国と地獄”をすごくゆっくりしたもので、その発想が面白い。
※サン=サーンス『動物の謝肉祭』は、ベルカント音楽学院主催 11月3日”30回記念コンサート”(生徒さんの発表会)にて、抜粋して演奏します♫
最後までお読みくださりありがとうございました。